その時には引率の先生がまつさきに興奮して、私たちを海に向けて二列横隊にならばせ、「われは海の子」といふ唱歌を合唱させたが、生れてはじめて海を見たくせに、われは海の子白波の騒ぐ磯辺の松原に、とかいふ海岸生れの子供の歌をうたふのは、いかにも不自然で、私は子供心にも恥かしく落ちつかない気持であつた。
さうして、私はその遠足の時には、奇妙に服装に凝つて、鍔のひろい麦藁帽に兄が富士登山の時に使つた神社の焼印の綺麗に幾つも押されてある白木の杖、先生から出来るだけ身軽にして草鞋、と言はれたのに私だけ不要の袴を着け、長い靴下に編上の靴をはいて、なよなよと媚を含んで出かけたのだが、一里も歩かぬうちに、もうへたばつて、まづ袴と靴をぬがせられ、草履、といつても片方は赤い緒の草履、片方は藁の緒の草履といふ、片ちんばの、すり切れたみじめな草履をあてがはれ、やがて帽子も取り上げられ、杖もおあづけ、たうとう病人用として学校で傭つて行つた荷車に載せられ、家へ帰つた時の恰好つたら、出て行く時の輝かしさの片影も無く、靴を片手にぶらさげ、杖にすがり、などと私は調子づいて話して皆を笑はせてゐると、
「おうい。