まあ、だいたいこんな事だけが父に関する記憶と言つていいくらゐのもので、父が死んでからは、私は現在の長兄に対して父と同様のおつかなさを感じ、またそれゆゑ安心して寄りかかつてもゐたし、父がゐないから淋しいなどと思つた事はいちども無かつたのである。
しかし、だんだんとしを取るにつれて、いつたい父は、どんな性格の男だつたのだらう、などと無礼な忖度をしてみるやうになつて、東京の草屋に於ける私の仮寝の夢にも、父があらはれ、実は死んだのではなくて或る政治上の意味で姿をかくしてゐたのだといふ事がわかり、思ひ出の父の面影よりは少し老い疲れてゐて、私はその姿をひどくなつかしく思つたり、夢の話はつまらないが、とにかく、父に対する関心は最近非常に強くなつて来たのは事実である。
父の兄弟は皆、肺がわるくて、父も肺結核ではないが、やはり何か呼吸器の障りで吐血などして死んだのである。