人口、四千くらゐの小邑である。
この辺から津軽平野も狭小になり、この北の内潟、相内、脇元などの部落に到ると水田もめつきり少くなるので、まあ、ここは津軽平野の北門と言つていいかも知れない。
私は幼年時代に、ここの金丸といふ親戚の呉服屋さんへ遊びに来た事があるが、四つくらゐの時であらうか、村のはづれの滝の他には、何も記憶に残つてゐない。
人口、四千くらゐの小邑である。
この辺から津軽平野も狭小になり、この北の内潟、相内、脇元などの部落に到ると水田もめつきり少くなるので、まあ、ここは津軽平野の北門と言つていいかも知れない。
私は幼年時代に、ここの金丸といふ親戚の呉服屋さんへ遊びに来た事があるが、四つくらゐの時であらうか、村のはづれの滝の他には、何も記憶に残つてゐない。