十一月二十二日をもって訊問を開始するようにきめた。
ときの切支丹奉行は横田備中守と柳沢八郎右衛門のふたりであった。
白石は、まえもってこの人たちと打ち合せをして置いて、当日は朝はやくから切支丹屋敷に出掛けて行き、奉行たちと共に、シロオテの携えて来た法衣や貨幣や刀やその他の品物を検査し、また、長崎からシロオテに附き添うて来た通事たちを招き寄せて、たとえばいま、長崎のひとをして陸奥の方言を聞かせたとしても、十に七八は通じるであろう、ましてイタリヤと阿蘭陀とは、私が万国の図を見てしらべたところに依ると、長崎陸奥のあいだよりは相さること近いのであるから、阿蘭陀の言葉でもってイタリヤの言葉を押しはかることもさほどむずかしいとは思われぬ、私もその心して聞こう故、かたがたもめいめいの心に推しはかり、思うところを私に申して呉れ、たとえかたがたの推量にひがごとがあっても、それは咎むべきでない、奉行の人たちも通事の誤訳を罪せぬよう、と諭した。