酔ぱらう心の不思議を、私はそのときはじめて体験したのである。
たかがウイスキイ一杯で、こんなにだらしなく酔ぱらったことについては、私はいまでも恥かしく思っている。
その日、私はとめどなくげらげら笑いながら、そのまま「いでゆ」から出てしまったのであるが、宿へ帰って、少しずつ酔のさめるにつれ、先刻の私の間抜けとも阿呆らしいともなんとも言いようのない狂態に対する羞恥と悔恨の念で消えもいりたい思いをした。
酔ぱらう心の不思議を、私はそのときはじめて体験したのである。
たかがウイスキイ一杯で、こんなにだらしなく酔ぱらったことについては、私はいまでも恥かしく思っている。
その日、私はとめどなくげらげら笑いながら、そのまま「いでゆ」から出てしまったのであるが、宿へ帰って、少しずつ酔のさめるにつれ、先刻の私の間抜けとも阿呆らしいともなんとも言いようのない狂態に対する羞恥と悔恨の念で消えもいりたい思いをした。