いったいこれはあの時、私が固くお断りすれば、なんの事も無かったのでございましたのですが、私はあの有名な小鹿様などとは違って、毎日自分の身一つをもてあまして暮しているのを、その代表のお方に見破られているのでございますから、いまさら都合がどうのこうのと、もったい振っても、それは噴飯ものでございましょうし、また、私のようなものでも顔を出して何やら文化に就いて一席うかがいますと、それでどうやら四方八方が円満に治るのだから是非どうぞ、と頼まれますると、私といたしましても、この老骨が少しでもお役に立つのは有りがたく、かたじけなしと存じて、まことにどうも、インチキだとは思いながら、軽はずみに引受けて、ただいまよろめきながらこの壇に上って、そうして、ああ、やっぱり、何が何でもひたすらお断りするのが本当であったと、後悔ほぞを噛んでいる次第でございます。
いったい私は、いまではダメな老人である事はもちろんでございますが、それならば、若い時の、せめて或る一時期に於いて、ダメでない頃があったかと申しますると、これもまた全然ダメだったのでございます。
私が東京に於いて或るほんの一時期、これでも多少、まあ、わずかな人たちのあいだで、問題にされた事もあったと、まあ、言って言えない事もないと思いますが、しかし、その問題にされ方が、如何に私がダメな男であるか、おそらくは日本で何人と数えられるほどダメな男ではなかろうか、という事に就いて問題にされたのでありまして、その頃、私の代表作と言われていた詩集の題は、「われ、あまりに愚かしければ、詐欺師もかえって銭を与う」というのでありまして、之を以てみても、私の文名たるや、それは尊敬の対象では無く、呆れられ笑われ、また極めて少数の情深い人たちからは、なぐさめられ、いたわられ、わずかに呼吸しているという性質のものであったという事がおわかりでございましょう。