父が死んでから、私の家の内部もあまり面白くない事ばかりでございまして、私は家の事はいっさい母と弟にまかせると宣言いたしまして、十七の春に東京に出て、神田の或る印刷所の小僧になりました。
印刷所と申しましても、工場には主人と職工二人とそれから私と四人だけ働いている小さい個人経営の印刷所で、チラシだの名刺だのを引受けて刷っていたのでございますが、ちょうどその頃は日露戦争の直後で、東京でも電車が走りはじめるやら、ハイカラな西洋建築がどんどん出来るやら、たいへん景気のよい時代でございましたので、その小さい印刷所もなかなか多忙でございました。
しかし、どんなにいそがしくても、仕事はつらいとは思いませんでしたが、その印刷所のおかみさんと、それから千葉県出身だとかいう色のまっくろな三十歳前後のめしたき女と、この二人の意地くね悪い仕打には、何度泣かされたかわかりません。