その頃は私も、おのずから次第にダメになり、詩を書く気力も衰え、八丁堀の路地に小さいおでんやの屋台を出し、野良犬みたいにそこに寝泊りしていたのですが、その路地のさらに奥のほうに、六十過ぎの婆とその娘と称する四十ちかい大年増が、焼芋やの屋台を出し、夜寝る時は近くの木賃宿に行き、ほとんど私同様、無一物の乞食みたいな生活をしていまして、そいつらが私に眼をつけ、何かと要らない手伝いなどして、とうとう私はその木賃宿に連れて行かれ、それがまあ悪縁のはじまりでございまして、二つの屋台をくっつけて謂わばまあ店舗の拡張という事になり、私は大工さんの仕事やら、店の品の仕入れやら、毎日へとへとになるまで働き、婆と娘は客の相手で、いやな用事はみんな私に押しつけ、売上げの金は婆と娘が握ってはなさず、だんだん私を露骨に下男あつかいにして来まして、夜に木賃宿で私が娘に近づこうとすると、婆と娘は、しっ、しっ、とまるで猫でも追うようなイヤな叱り方をして私を遠ざけてしまいます。
あとで少しずつ私にも気がついて来たのでございますが、この婆と娘は、ほんとうの親子で無いようなところもあり、何が何やら、二人とも夜鷹くらいまで落ちた事があるような気配も見え、とにかくあまり心根が悪すぎてみんなに呆れられ捨てられ、もういまでは誰からも相手にされなくなっていたようなのでございました。
私はこの四十ちかい大年増から、たちの悪い病気までうつされ、人知れぬ苦労をしたのでございますが、婆と娘はかえってそのとがを私に押しつけ、娘は何か面白くない事があると、すぐ腰が痛いとか何とか言って寝て、そうして婆と娘は、ろくでもない男にかかわり合ったから、こんな、とりかえしのつかないからだになってしまった、と口々に私を罵り、そうして私にやたらと用事を言いつけてこき使い、店は私の努力のため、と敢えて私は言いたいのです、そのために少しずつ繁昌して、屋台を二つくっつけたくらいの増築では間に合わなくなりましたので、これも娘と婆の発案で、新富町の表通りに小さい家を借りまして、おでん、小料理と書いた提燈を出し、そうしてもう、その家に引越してからは、私は完全に下男の身分になりまして、婆の事を奥さんと呼び、わが女房を、おねえさん、と呼ぶように言いつけられ、婆と女房は二階に寝て、私は台所に薄縁を敷いて寝る事になったのでございます。