あとで少しずつ私にも気がついて来たのでございますが、この婆と娘は、ほんとうの親子で無いようなところもあり、何が何やら、二人とも夜鷹くらいまで落ちた事があるような気配も見え、とにかくあまり心根が悪すぎてみんなに呆れられ捨てられ、もういまでは誰からも相手にされなくなっていたようなのでございました。
私はこの四十ちかい大年増から、たちの悪い病気までうつされ、人知れぬ苦労をしたのでございますが、婆と娘はかえってそのとがを私に押しつけ、娘は何か面白くない事があると、すぐ腰が痛いとか何とか言って寝て、そうして婆と娘は、ろくでもない男にかかわり合ったから、こんな、とりかえしのつかないからだになってしまった、と口々に私を罵り、そうして私にやたらと用事を言いつけてこき使い、店は私の努力のため、と敢えて私は言いたいのです、そのために少しずつ繁昌して、屋台を二つくっつけたくらいの増築では間に合わなくなりましたので、これも娘と婆の発案で、新富町の表通りに小さい家を借りまして、おでん、小料理と書いた提燈を出し、そうしてもう、その家に引越してからは、私は完全に下男の身分になりまして、婆の事を奥さんと呼び、わが女房を、おねえさん、と呼ぶように言いつけられ、婆と女房は二階に寝て、私は台所に薄縁を敷いて寝る事になったのでございます。
忘れも致しません、あれは秋のなかば、月の非常にいい夜でございましたが、私は十二時すぎに店をしまいまして、それから大いそぎで築地の或る心易くしている料理屋へ風呂をもらいに行きまして、かえりには、屋台でおそばを食べ、家へ来て勝手口をあけようとしても、もう内桟をおろしてしまったようで、あきませんでした。