ついて行けるところまではついて行き、そのうちに馬鹿らしくなり身をひるがへして傍觀する。
これが小菅の、葉藏や飛騨よりも更になにやら新しいところなのであらう。
小菅が藝術をいささかでも畏敬してゐるとすれば、それは、れいの青い外套を着て身じまひをただすのとそつくり同じ意味であつて、この白晝つづきの人生になにか期待の對象を感じたい心からである。
ついて行けるところまではついて行き、そのうちに馬鹿らしくなり身をひるがへして傍觀する。
これが小菅の、葉藏や飛騨よりも更になにやら新しいところなのであらう。
小菅が藝術をいささかでも畏敬してゐるとすれば、それは、れいの青い外套を着て身じまひをただすのとそつくり同じ意味であつて、この白晝つづきの人生になにか期待の對象を感じたい心からである。