この姿は、この表現は、結局、私の考へてゐる「単一表現」の美しさなのかも知れない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口して居るところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だつていい筈だ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思へない、この富士の姿も、やはりどこか間違つてゐる、これは違ふ、と再び思ひまどふのである。
朝に、夕に、富士を見ながら、陰欝な日を送つてゐた。
十月の末に、麓の吉田のまちの、遊女の一団体が、御坂峠へ、おそらくは年に一度くらゐの開放の日なのであらう、自動車五台に分乗してやつて来た。