君も手伝え。
という意味の速達を寄こして、僕も何だか、ハッと眼が覚めたような気持ちになり、急ぎ上京して、そうして今のこの「新現実」という文芸雑誌の、まあ、編輯部次長というような肩書で、それから三年も、まるで半狂乱みたいな戦後のジャアナリズムに、もまれて生きてまいりました。
その終戦直後に、僕が栃木県の生家から東京へ出て来た時には、東京の情景、見るもの聞くもの、すべて悲しみの種でしたが、しかし、少くとも僕一個人にとって、痛快、といってもいいくらいの奇妙なよろこびを感じさせられた事は、市場に物資がたくさん出ていて、また飲み食いする屋台、小料理屋が、街々にひしめき、あふれるという感じで立ち並び、怪しい活況を呈していた事でした。