かくては、襖の蔭で縫いものをしている家の者に迄あなどられる結果になるやも知れぬという、けち臭い打算から、私は友人を屋外に誘い出し、とにもかくにも散策を試み、それでもやはり私の旗色は呆れる程に悪く、やりきれず、遂には、その井の頭公園の池のほとりの茶店に案内するという段取りになるのであった。
この茶店の床几の上に、あぐらをかけば、私は不思議に蘇生するのである。
その床几の上に、あぐらをかいて池の面を、ぼんやり眺め、一杯のおしるこ、或は甘酒をすするならば、私の舌端は、おもむろにほどけて、さて、おのれの思念開陳は、自由濶達、ふだん思ってもいない事まで、まことしやかに述べ来り、説き去り、とどまるところを知らぬ状態に立ち到ってしまうのである。