当時、歌人を志していた高校生の兄が大学に入る為帰省し、ぼくの美文的フォルマリズムの非を説いて、子規の『竹の里歌話』をすすめ、『赤い鳥』に自由詩を書かせました。
当時作る所の『波』一篇は、白秋氏に激賞され、後選ばれて、アルス社『日本児童詩集』にのりました。
父が死んだ年、兄は某中学校に教べんを取りました。
当時、歌人を志していた高校生の兄が大学に入る為帰省し、ぼくの美文的フォルマリズムの非を説いて、子規の『竹の里歌話』をすすめ、『赤い鳥』に自由詩を書かせました。
当時作る所の『波』一篇は、白秋氏に激賞され、後選ばれて、アルス社『日本児童詩集』にのりました。
父が死んだ年、兄は某中学校に教べんを取りました。