大正四年、葛原の手に依って、故勾当の日記が編纂、出版せられる迄は、葛原勾当その人に就いても、あまり知られていなかった様である。
この氏編纂の勾当日記には、東京帝国大学史料編纂官、和田英松というお人の序文も附加せられて在るが、それには、「葛原勾当は予が郷里備後の人にして音楽の技を以て其名三備に高かりき。
予、幼時より勾当の名を聞くこと久しかりしも、唯、音楽に堪能なりし盲人とのみ思い居たりき。
大正四年、葛原の手に依って、故勾当の日記が編纂、出版せられる迄は、葛原勾当その人に就いても、あまり知られていなかった様である。
この氏編纂の勾当日記には、東京帝国大学史料編纂官、和田英松というお人の序文も附加せられて在るが、それには、「葛原勾当は予が郷里備後の人にして音楽の技を以て其名三備に高かりき。
予、幼時より勾当の名を聞くこと久しかりしも、唯、音楽に堪能なりし盲人とのみ思い居たりき。