とあって、その職は史料編纂官、その生まれ在所は勾当と同じ備後の人でさえ、故勾当の人物に就いては、そんなに深く知っていたわけでは無かったという事がわかるのである。
また、東京盲学校長、町田則文というお人も、序文を寄せて居られるが、それには、「一日葛原君、余が学校を訪われ君が祖父故葛原勾当自記の四十余年間に亘れる仮名文字活字日誌を示され、且、其生存中に於ける事業の大要及び勾当の趣味等につき、詳に語らる。
余之を聴き所感殊に深く、俄然として我が帝国盲教育上に一大辰を仰ぎ得たるの想を為せり。
とあって、その職は史料編纂官、その生まれ在所は勾当と同じ備後の人でさえ、故勾当の人物に就いては、そんなに深く知っていたわけでは無かったという事がわかるのである。
また、東京盲学校長、町田則文というお人も、序文を寄せて居られるが、それには、「一日葛原君、余が学校を訪われ君が祖父故葛原勾当自記の四十余年間に亘れる仮名文字活字日誌を示され、且、其生存中に於ける事業の大要及び勾当の趣味等につき、詳に語らる。
余之を聴き所感殊に深く、俄然として我が帝国盲教育上に一大辰を仰ぎ得たるの想を為せり。