然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。
その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。
その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。