母は、言葉の上ではまるで夢想家のようなあんばいだし、娘はその夢想を破るような所謂現実家みたいなことを言っている。
しかし、母は実際のところは、その夢の可能性をみじんも信じていないからこそ、そのような夢想をやすやすと言えるのであって、かえってそれをあわてて否定する娘のほうが、もしや、という期待を持って、そうしてあわてて否定しているもののように思われる。
世の現実家、夢想家の区別も、このように錯雑しているものの如くに、此頃、私には思われてならぬ。
母は、言葉の上ではまるで夢想家のようなあんばいだし、娘はその夢想を破るような所謂現実家みたいなことを言っている。
しかし、母は実際のところは、その夢の可能性をみじんも信じていないからこそ、そのような夢想をやすやすと言えるのであって、かえってそれをあわてて否定する娘のほうが、もしや、という期待を持って、そうしてあわてて否定しているもののように思われる。
世の現実家、夢想家の区別も、このように錯雑しているものの如くに、此頃、私には思われてならぬ。