この「お爺さん」も、いまはこんなささやかな草の庵を結んでゐるが、もとをただせば大金持の三男坊で、父母の期待にそむいて、これといふ職業も持たず、ぼんやり晴耕雨讀などといふ生活をしてゐるうちに病氣になつたりして、このごろは、父母をはじめ親戚一同も、これを病弱の馬鹿の困り者と稱してあきらめ、月々の暮しに困らぬ小額の金を仕送りしてゐるといふやうな状態なのである。
さればこそ、こんな世捨人みたいな生活も可能なのである。
いかに、草の庵とはいへ、まあ、結構な身分と申さざるを得ないであらう。
この「お爺さん」も、いまはこんなささやかな草の庵を結んでゐるが、もとをただせば大金持の三男坊で、父母の期待にそむいて、これといふ職業も持たず、ぼんやり晴耕雨讀などといふ生活をしてゐるうちに病氣になつたりして、このごろは、父母をはじめ親戚一同も、これを病弱の馬鹿の困り者と稱してあきらめ、月々の暮しに困らぬ小額の金を仕送りしてゐるといふやうな状態なのである。
さればこそ、こんな世捨人みたいな生活も可能なのである。
いかに、草の庵とはいへ、まあ、結構な身分と申さざるを得ないであらう。