お爺さんにとつて、こんな、がむしやらな情熱を以て行動するのは、その生涯に於いて、いちども無かつたやうに見受けられた。
お爺さんの胸中に眠らされてゐた何物かが、この時はじめて頭をもたげたやうにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。
自分の家にゐながら、他人の家にゐるやうな浮かない氣分になつてゐるひとが、ふつと自分の一ばん氣樂な性格に遭ひ、之を追ひ求める、戀、と言つてしまへば、それつきりであるが、しかし、一般にあつさり言はれてゐる心、戀、といふ言葉に依つてあらはされる心理よりは、このお爺さんの氣持は、はるかに侘しいものであるかも知れない。