それは、葛原勾當日記の、假名文字活字日誌を土臺にして、それに私の濁創も勝手に加味し、盲人一流藝者の生活を、おぼつかなく展開してみたものでした。
けれども、この勾當の正孫の、葛原しげる氏は、私たち文士の大先輩として、お元氣で、この東京にいらつしやる樣子なのですから、書きながら、ひどく氣になつて居りました。
御住所を搜し、こちらからお訪ねして、なほ精しく故人の御遺徳をも伺ひ、それから、私ごとき非文不才の貧書生に、この活字日誌の使用を御許可下さるかどうか、改めてお願して、そのおゆるしを得て、はじめて取りかかるべき筋合ひのものであるとは、不徳の小文士と雖も、まづは心得て居りました。