東京といふ都會を彼はどのやうに愛し、また理解したか。
けれども彼には、彼の仲間の留學生たちに對する自己嫌惡にも似た反撥もあり、明治三十七年、九月、清國留學生のひとりもゐない仙臺醫學專門學校に入學するのでありますが、それから二箇年間の彼の仙臺に於ける生活は、彼の全生涯を決定するほどの重大な時期でありました。
彼はこの時期に於いて、二、三の日本の醫學生から意地惡をされたのも事實でありますが、また一方に於いては、それを償つてあまりある程の、得がたい日本の良友と恩師を得ました。
東京といふ都會を彼はどのやうに愛し、また理解したか。
けれども彼には、彼の仲間の留學生たちに對する自己嫌惡にも似た反撥もあり、明治三十七年、九月、清國留學生のひとりもゐない仙臺醫學專門學校に入學するのでありますが、それから二箇年間の彼の仙臺に於ける生活は、彼の全生涯を決定するほどの重大な時期でありました。
彼はこの時期に於いて、二、三の日本の醫學生から意地惡をされたのも事實でありますが、また一方に於いては、それを償つてあまりある程の、得がたい日本の良友と恩師を得ました。