彼はこの時期に於いて、二、三の日本の醫學生から意地惡をされたのも事實でありますが、また一方に於いては、それを償つてあまりある程の、得がたい日本の良友と恩師を得ました。
殊にも藤野嚴九郎教授の海よりも深い恩愛に就いては、彼は後年、「藤野先生」といふ謝恩の念に滿ちあふれた名文を草してゐるほどで、「ただ先生の寫眞のみは今なほ僕の北京の寓居の東側の壁に、書卓に向つて掛けてある。
夜間倦んじ疲れて、懈怠の心が起らうとする時、頭をもたげて燈光の中に先生の黒い痩せたお顏を瞥見すると、いまにも抑揚頓挫のある言葉で話しかけようとしてゐられるかの如く思はれる。