全く贊成である。
さうして西鶴は、さまざまな貯蓄の名人の逸事を報告してゐるのである。
「この男一生のうち草履の鼻緒を踏み切らず、釘のかしらに袖をかけて破らず、よろづに氣を付けて其の身一代に二千貫しこためて、行年八十八歳、」で大往生した大長者の話や、または、「腹のへるを用心して、火事の見舞ひにも早く歩まぬ」若旦那の事や、または、「町並に出る葬禮には、是非なく鳥部山におくりて、人より跡に歸りさまに、六波羅の野邊にて奴僕もろとも苦參を引いて、これを陰干にして腹藥になるぞと、ただは通らず、けつまづく所で燧石を拾いて袂に入れける、朝夕の煙を立つる世帶持は、よろづ此樣に氣を付けずしてはあるべからず、此の男、生れ付いて慳きにあらず、萬事の取りまはし人の鑑にもなりぬべきねがひ、(中略)よし垣に自然と朝顏の生へかかりしを、同じ眺めには、はかなき物とて刀豆に植ゑかへける。