考へてみると、僕たちだつて、小さい時からお婆さんに連れられてお寺參りをしたり、またお葬式や法要の度毎に坊さんのお經を聞き、また國寶の佛像を見て歩いたりしてゐるが、さて、佛教とはどんな宗教かと外國の人に改つて聞かれたら、百人の中の九十九人は、へどもどするに違ひないのだ。
なんにも知らない。
外國の人もまた、マリヤ樣、エス樣が、たいへんありがたいおかたであるといふ事は、教會の雰圍氣に依つて知らされ、小さい時からお祈りをする習慣だけは得てゐながらも、かならずしも聖書にあらはれたキリストの悲願を知つてはゐないのだ。