ある特別の感興を、己が捕えたる森羅の裡に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭に筆端に迸しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。
己れはしかじかの事を、しかじかに観、しかじかに感じたり、その観方も感じ方も、前人の籬下に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
この二種の製作家に主客深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。