太宰治が、川端康成の選評に「刺す。そうも思った」

「刺す。そうも思った」

小説家の太宰治は、第一回芥川賞の候補に挙がりながら、受賞を逃します。芥川賞は、太宰がなによりも憧れた芥川龍之介の名を冠した賞でした。自死した芥川の面影を太宰はこの賞のなかに見ていたのかもしれません。それだけに賞へ寄せる思いは人一倍だったのでしょう。

落選そのものよりも、太宰を打ちのめしたのは、選考委員である川端康成の選評でした。そこにあったのは、作品の出来ではなく、まるで太宰の私生活のほうを問題にするかのような書きぶりの言葉。当時の太宰は、薬物への依存や度重なる心中未遂など危うさを抱えていたものの、そのことを作品の評価に持ち込まれることは彼にとって耐えがたいことだったのかもしれません。

太宰は激怒し、「刺す。そうも思った。大悪党だと思った。」と雑誌に反論の文章を寄せます。単純な憎しみの言葉ではなく、もともと川端に敬意を抱いていたぶん、憎しみと慕わしさの入りまじった、行き場のない激しい感情がむき出しになっていたのでしょう。


このとき太宰は二十六歳。川端とは十ほどの年の差があり、いわば仰ぎ見ていた先達に向かって、正面から食ってかかったことになります。

芥川への熱烈な憧れに加え、当時の暮らしむきの苦しさもあったのかもしれません。芥川賞の賞金と名誉は、太宰にとって現実的な救いでもありました。どうしても賞が欲しかった太宰は、第二回の選考にあたって、選考委員の佐藤春夫に宛て、切実な手紙を書き送ります。

「第二回の芥川賞は、私に下さいまするよう、伏して懇願申しあげます」「佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。いまは、いのちをおまかせ申しあげます」

なりふりかまわぬ、痛々しいほどの手紙。それでも、受賞が太宰のもとに届くことはありませんでした。賞に焦がれ、選評に傷つき、他人に頭を下げてまで求めたものは、とうとう手に入りませんでした。